石川県能登半島地震災害支援活動のご報告

令和6年1月1日に石川県能登地方を襲った最大震度7の大地震。
津波による被害、家屋の倒壊、地盤の隆起など数えきれないほどの大きな被害が石川県をはじめとした近隣地域や住民を突如襲いました。

この状況を目の当たりにし居ても立ってもいられず立ち上がった自治集団のメンバーがいます。
有限会社ars 代表取締役 朝見剛彦さん」
朝見さんは、兵庫県伊丹市で建設業を営む一方で、沖縄空手をはじめとした武道を伊丹市また和歌山県田辺市で、地域のお子さんや保護者の方に教えている武道講師でもあります。
朝見さんが伊丹市で所属しているスポーツ団体「スポーツクラブ21はなさと」を主体として、「石川県能登半島地震災害支援活動チーム」が結成されました。
日本自治集団もこの活動に賛同し、自治集団メンバーとして、
熊野飛鳥むすびの里 荒谷卓さん、細川彩さん」「賀正軒 福田泰三さん」「株式会社Dreams 宮平崇さん」「辻井興業 辻井伸明さん」「株式会社三喜堂 福島聰一郎さん」「株式会社むすひ 大村奈未さん」
が活動チームに参加しました。

朝見さんをリーダーに緊張感とスピード感がある中で進む、支援活動の準備。
そして、令和6年1月17日。
大阪、兵庫、三重、和歌山、東京から集まった総勢22名の仲間たちとともに、石川県珠洲市にある三崎中学校へ被災者支援に向かいました。

1/17のAM7時前に花里小学校を出発し、到着した頃には17時を過ぎ、辺りは真っ暗でした。
道路に亀裂が入っていたり、大きな穴が開いていたりと、通常のルートが通れず、スピードももちろんゆっくりでしか走行できません。
珠洲市に近づけば近づくほど家屋の倒壊は激しく、心が痛む光景がたくさんありました。

三崎中学校の体育館には約120名の方が避難していました。
お年寄りの方も多く、お話を伺うと、
床に座ってから立ち上がっての動作がしんどい。
避難所生活は寒くはないが、落ち着かず、2週間以上経った今の方がしんどい。
と仰っていました。
三崎中学校には、支援物資は届いていましたが、カップラーメンや缶詰、パンなどが多く、手作りの温かい食事は久しく食べていないとのことでした。

三崎中学校を含めた近隣の小中学校の授業は開始しており、避難所からスクールバスで登校している子供さんもいました。

翌日1/18の早朝、区長さんと打ち合わせをし、まずは、支援物資の必要確認と積み下ろし。
トラックの荷台いっぱいに積んだ支援物資を、ほぼ全て避難所に下ろしました。

そして、チームに分かれ、
1. 炊き出し(ラーメンとおむすび)
2. 武道場と体育館の片付けとゴミ出し
3. 避難所で整体
を開始しました。

炊き出しのラーメンは、「賀正軒」さんが担当下さいました。
美味しそうな豚骨スープの匂いが溢れていました☺️

おむすびは、飛鳥熊野むすびの里からお米を寄付頂き、その場で炊きたておむすびを握りました✨


整体は、ふくしま整骨院の福島先生が担当下さいました✨

11時過ぎより、避難所の皆さん、三崎中学校の生徒さんと先生がラーメンとおむすびを食べに来てくれました。
取りに来るのが難しい方には、同日ボランティアに来ていた日本財団の方が届けて下さいました。
私達、ボランティアの皆さん、学校の先生や生徒さん、避難所の皆さん、みんなが手と手を取り合い、みんなが他を思いやり、それを自然とやっている。
なんとも言えない心温まる時間がそこにはありました😌

全員で力を合わせやり遂げたあとに、三崎中学校の皆さんがお礼を伝えに来てくれました😌
皆さんの笑顔が私達の心も照らしてくれました!
区長さんや避難所の方々も大変喜んで下さりました!

まだまだ避難所での生活は続きます。
余震もある中で不安な日々を過ごされている方が大半です。
どうか日本の皆さまが助け合い、被災者の方々が心休まる日が一日でも早く訪れることを願います。
様々な報道がある中で、私達が直接見て、感じたことを持ち帰り、みんなで一緒に考えていきたいと思います。

今回の支援にあたり、多くの皆様のご協力を頂戴しました。心より感謝いたします!!
そして、全体の指揮を取り全員をまとめてくれた、発起人である朝見さん!
共に石川に乗り込んでくれた心強く温かいメンバーの皆さん!
買い出しの準備、資金の取りまとめ、水汲みなど準備段階から協力頂いた皆さん!
募金活動をがんばってくれた子供たち!
朝見さんが声を上げてからものすごいパワーと皆さんの想いが一つになった氣がします🔥
日本人の力はほんとにすごい!!
共に活動できたことに心からの感謝を込めて🙏

なお、今回の支援活動に際し、我々の活動団体名は、「スポーツクラブ21はなさと」です。
伊丹市立花里小学校のクラブチームの団体になります。