令和6年春より農士候補生としてむすびの里で修行なさっている鬼頭 絵里子さん!
(鬼頭さんの紹介はこちらから確認頂けます→農士育成事業「鬼頭 絵里子さん」編)
鬼頭さんが農士候補生を志すにあたり、鬼頭さんが所属する会社「株式会社三喜堂」の代表である「福島 聰一郎さん」
の挑戦と思いを書いて頂きましたので、紹介させて頂きます↓↓
<自社仲間による農士への挑戦>
私が初めて荒谷卓先生のご存在を知ったのは2014年でした。
2007年頃、誕生した我が子には絶対、武道を学ばせたいという想いから、インターネット検索し、息子にさせる武道は何が良いかを調べていました。その時、國井善弥先生の動画に出逢い、衝撃を受けたのです。
鹿島神流を学べるところはないのか?調べると、国立大学か、外国にしか門戸が開いていないことに気づき、いったん諦めました。
2010年に、株式会社玄米酵素との出逢いがあり、今まで持っていた日本の自虐史観が間違っていたことに気付かされました。そして、GHQに日本食が消されようとしたことも知り、食と農業の重要性を学び、
東洋医学は、「正しい価値観と農と食と武道と鍼灸あんま指圧」をパッケージ化して初めて健康法が完成すると思いました。
そこで、2014年にもう一度、鹿島神流を学べる場所がないかを検索しました。すると、荒谷卓先生のお名前が出てきたのです。プロフィールを見て、今後の武道師匠はこのかたしかいないと確信しました。
2014年の終わる頃、荒谷先生を慕って、明治神宮至誠館に入門したのです。
荒谷卓先生と鹿島の太刀に出逢い、それまでは、キリスト教的な価値観を大事にしていましたが、日本の伝統的な神道が大事であることを実感するようになりました。
特に、荒谷先生の「橿原建都の詔」の講義を聴講したときには衝撃を受けました。こんな素晴らしい国家理念をもつ国は日本しかないと感動しました。
また、それを現代において具現化するにはどうしたら良いのだろう・・・という私個人の模索中、荒谷先生が「国際共生創生協会 熊野飛鳥むすびの里」を創設され、その立ち上げに微力ながらご協力させて頂くことが「橿原建都の詔」を具現化する道だとワクワクして、「里の仲間登録」をさせて頂きました。
その後、荒谷先生が有言実行で農業をされ、我が社でも取り組みたいと思っていたところ、社長の志をじぶんの志と捉えて、三重県熊野市への移住を考えてくれる仲間が数人おり、そううち夫婦で決意してくれた鬼頭さんに熊野での事業立ち上げを担当してもらうことになりました。
しかし、いざ進めてみると、熊野支社での新規事業立ち上げは容易なことではありませんでした。
当初東京本社が熊野支社を支えるだけの体力を持っていなかったからです。
熊野事業を立ち上げたものの、社内人間関係の気持ちの不一致に多大な時間を割き、熊野支社での仕事が始まっても、事務作業ミスなどで約1年間、熊野支社での収益が全く入らない状況など、覚悟を決めなくてはならない状況に追われました。
そのようななか、信念を曲げずに忍耐した結果、荒谷先生の勧めで、熊野でのお知り合いの方々から農地や農業ノウハウを与えて頂く流れを得て、自社仲間の鬼頭絵理子さんが農士として、荒谷先生のご指導を賜るようになりました。
会社の取り組みの一端として農業に着手することができたことは本当に幸せです。
鬼頭絵理子さんが主導で、自社の農業を実践し、荒谷先生、上田さん、彩先輩、黒米作りを教えてくださる小畑さんからご指導・ご支援いただき、今年は青々とした田んぼができて、感動いたしました。
畑は、先日、絵理子さんから、「うさぎにやられました・・・」と報告が入り、試行錯誤をしているようです。
しかし、これで、個人的な夢である「正しい価値観と農業と食と武道と鍼灸あんま指圧」という健康法パッケージ化の夢に一歩も二歩も近づいております。
現代グロバーリゼーションの波に飲み込まれず、大家族主義といっても良い日本伝統文化を復活させ、私たちの先祖に恥じない未来を子どもたちに残すべく死力を尽くして日々物事に当たってまいりたく存じておりますので、今後もご指導のほど宜しくお願い申し上げます。